2012年8月1日水曜日

儀式(秘事法門)


1. 京都にいくまでに2回程度面接。参加する意志を確認される。その時、家族の仕事などを表に書かされた紙を提出させられる。
2. 冥加料38万円。護持費が2,000円/月、活動も必ず参加する必要はないので、仕事などにはほとんど影響ないと教えられる。
3. 当日、朝早く京都別院に向かう。ホテルから車で順に出発して別院に到着。参加する人は「お正客」と呼ばれ、特別扱い。勧誘者は「お同伴」という。
4. 男性は略礼服、女性も黒い礼服。健康状態を確認される。大広間には金色の阿弥陀如来と左右に日光菩薩・月光菩薩がある。阿弥陀仏の前は畳が一段高い。阿弥陀仏に向かって左に教壇、そこを向いてお正客が座る。善知識の迎え方として、五体投地の作法をならう。入信していないにもかかわらず、従うしかない状況。
5. 説法の内容は別記しますので省略します。
6. 白装束に着替え、儀式での作法を覚えさせられる。 「南無阿弥陀仏」と10回唱え、独自の拝み方を覚える。信貴山朝護孫子寺の張り子の虎のように、首を振って頭を打ち付け眉間(白毫)の第三の目を開く儀式の練習。
7. 儀式は仏間で行われる。手を消毒薬で洗い、口を塩水でゆすぎ 再び手に塩をつけて流す。一人ずつ順番に並び、仏間に入る。目をつむり、胸元で死人の様に両手を組み、襟をつかむ。合図で前にある打敷きに頭を打ち付ける(オツムてんてん)。スポンジの様な感触で痛くはない。「よし」と言われ、信心決定となる。お礼で、五体投地と「南無阿弥陀仏」を唱える。
8. 仏間は暗い布で囲われ、祭壇と阿弥陀如来の掛け軸がかかっている。 日光菩薩、月光菩薩と一体になる儀式。善知識と対面して座り、片手を合わせる。善知識の「南無阿弥陀仏」を復唱した後、強く息を吹きかけられる。口をつけた盃の水も飲まなければならない。日光菩薩は10回、月光菩薩は5回行う。
9. このことは絶対に他言してはいけないと宣誓させれれる。順番に、鈴を鳴らし、「絶対に他言致しません」と誓約。
10. 次の日は、朝早くから白装束で仏間に入る。その後、菩薩となった証を見せるとのことで、黒法衣で外に出る。太陽を直視することができるようになったとのことで、太陽の輪郭がはっきりと見える。太陽を見た後でも足元の暗いところがはっきり明るく見える(日想観という)。
11. 儀式を受けたので、死して六道輪廻に入らず、阿弥陀のもとに行ける身となったと説明。そして、これから誓約を守らないと六道輪廻に逆戻りになる。
12. もうひとつの証は、化仏化菩薩を見ることができる。また外に出て、黄法衣の方に見方を教えてもらう。方法は、青空を見上げ、眉間の20cm程前に焦点を合わせていくと、空中に白い小さな光が飛び回るのが見える。眼鏡をかけても見える。、背景を白い壁に移しても見られる。
13. このほかに月を見ること(水想観)もある。 日想観・水想観・化仏化菩薩、この三つが重要である。最後に「南無阿弥陀仏」と写経した紙を仏間に供え、線香をあげて経を唱える。そして、写経した「南無阿弥陀仏」の紙は、家に帰り、夜中12時前にへその上に貼って眠った後、早朝、近くの川に流しに行く(御六字)。

法座説法内容(一部)


「七五三」
人間の顔には7つの穴(口)がある、体の中に5つの臓腑がある、下半身には3つの穴がある、だから七五三。
また、穴(口)の数は上下で10コあるが、第3の眼を開けば11の穴になる。
11の穴と、七+五+三=15で、11月15日が七五三の日。
神社のおみくじの「吉」は、十一番目の口と書く。

「相撲」
相撲の土俵には4つの大きな俵と、32の小さな俵がある。
4+32=36で、2つに割ったら18になる、これは弥陀の十八願を表している。
軍配には太陽と月が書かれている。 それは日想願(表)と水想願(裏)つまり表裏一体を表している。
軍配の下に何かついている。その数は18個であり、もちろんこれは弥陀の十八願を示している。
理想の立会いは「阿吽の呼吸」をもって行われるとされる。阿吽=神社の狛犬=仁王像である。
満員御礼の垂れ幕というのは花札の桜と同じで日想願。

「浦島太郎」
亀を助け(前世で善行をつんだ)、竜宮城に行った。
乙姫様に玉手箱をもらった(正法をもらったということ)。
玉手箱を開けたらおじいさんになった(「人に言ってはいけない」という教えを守らなかったため、法の力が消えたということ、他言無用)。
つまり、正法誹謗してはいけないということ。

「365」

人間には、365本の骨がある。
参考*http://kids.gakken.co.jp/kagaku/110ban/text/1289.html
人間のツボの数は365個なんです。
人間の平熱は36.5度でしょう。
これは一年365日を表している。凄いでしょう!!!

「正法である根拠、花札のうぐいすが「法聴け-」と鳴いている。」
「前世の事を覚えてないのは人間だけで、正確に言うと、お腹の中にいる時はまだ覚えているそうで、生れ落ちる、その時にあまりの痛さのために、前世までの記憶を忘れてしまう」

すばらしいお話を聞いたことがない方へ。
(一部改変)

観無量寿経

佛告韋提希 汝及衆生 応当専心 繋念一処 想於西方 云何作想 凡作想者
  一切衆生 自非生盲 有目之徒 皆見日没 当起想念 正坐西向 諦観於日
  令心堅住 専想不移 見日欲没 状如懸鼓 既見日已 閉目開目 皆令明了 
  是為日想 名曰初観


釈尊は韋提希夫人に仰せになった。 皆の者は、ひたすらに西方に思いをかけ、その世界(浄土)を想い描くがよい。どのように西方を思い描くのか。まず生れながらにして目が見えないのでなく、目が見えるものは皆、日没の光景を見るがよい。それを始めるには、姿勢を正し西に向かい座り、はっきり夕日を思い描くがよい。心を乱さずに集中し、他のことに心とらわれずにおれば、次に夕日が沈もうとし、西の空に鼓が浮んでいるかの様を見るがよい。それを見終わった後に、目を閉じても開いても、その夕日がはっきりと見えるようにするのです。このように想い描くのを日想といい、第一の観と名付ける。

概要

「念佛宗」の名前のとおり、基本は「南無阿彌陀佛」と阿弥陀佛の名前を唱える称名念仏によって、阿弥陀佛の主催する西方浄土に往生できる、という浄土教系の仏教です。従って、浄土三部経(無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経)が根本経典になります。
もちろんこうした浄土三部経(そして龍樹や世親といった浄土教史上の高僧たちによる浄土教解釈)には「儀式」によって往生が決定するなどという教義は一切出てきませんが。

ただし、念佛宗ではどんな経典も利用するという方針ですので、中国で儒教の影響を受けて作られた(従って現在の仏教では参照されない)『父母恩重経』などの偽経も利用します。もっとも、そもそも浄土三部経を含む大乗経典自体が、歴史上の釈迦その人が説いた直説ではなく、あくまで後世に創作されたものだということも頭の片隅に入れておいてください。
もちろん大乗仏教諸宗はそれらの経典が仮に後世の創作だとしても歴史上の釈迦の説いたことの「真意」を明らかにするものなのだと主張しますが。



さて「オツムテンテン」の儀式で極楽往生できるという念佛宗の教義ですが、
この儀式が以下のような系統を辿って伝承されてきたのです:

善導大師 → 法然上人 → 親鸞聖人 → 蓮如 → 在家(隠し念仏) → 念佛宗

親鸞から蓮如の間は浄土真宗(本願寺派)の門主たちの系統(親鸞は宗祖・蓮如は本願寺第8世門主)ですので、親鸞・蓮如、その間にいる本願寺の歴代門主(覚如・存覚)などの書き残した文書が経典に準ずるものとして利用しています。歴史的に言って浄土真宗本願寺派は親鸞からの世襲的血統を重要視し、信徒の往生も門主次第とし(特に蓮如)、信徒に門主への服従と布施を要求する (特に覚如)、という、現在の目から見れば多分に問題の多いものでした。
従って、念佛宗では門主(つまり開祖や現在の代表者)への服従や布施を正当化するのに、覚如・存覚・蓮如の書き残したものを良く利用します。
歴史的にカルト的性格を帯びていた本願寺派の暗部が現代のカルト集団に利用されていると言えばわかりやすいでしょうか。

しかし、面白いことに蓮如自身(或いはそもそもの法然・親鸞も)が、儀式の類によって往生が定まるとする教義を邪義(秘事法門と呼ばれます)として排斥しています。また往生はただ阿弥陀佛の功徳のみによって定まるのであって我々の側の自力(特に布施などのいわゆる「善行」によって善果を積もうとすること)は極楽往生に影響を与え得ないという本願寺派の絶対他力思想(これは特に覚如・蓮如に顕著ですが)と、念佛宗の善行(特に布施)を推奨し、それを常に持続して死ぬまで
行わないと往生が叶わないという脅迫的・強迫的な教義は相容れません。
つまり、浄土教の高僧たち自身の教えによって異端とされている宗派なのです。(従ってそれが正しいことはあり得ません)。